ほんの1年前のこと。
「そこには未来がありますよ。」
北九州出身の友人は電話で平然と言い放った。
神奈川県の海沿いの町に住んでいた私たち家族は、福島第一原発の原子炉崩壊による放射性物質拡散を恐れて震災から2日後の早朝、まだ夜が明け切らぬうちに8年住んだ家を出た。
子どもが生まれた家。
まるで家族のように心が通い合っていた隣人たち。
すべてを置き去りにして、逃げた。とりあえず西へ、とにかく遠くへ逃げなければと思ったのだ。
そして同時に移住も決意していた。
友人に“未来”があると示されたのは、国東半島。
どこだか分からなかった。
くにさき…疑問符が付く。
「国に東と書いて、くにさき」と言われ、脳裏に埋もれた記憶の一端を指先でつまんだが、理解には至らず。
これ以前に九州の地を踏んだのは過去に3回。
私たち家族には縁もゆかりもない、なじみもない、土地勘もない、遠い親戚もいない「国東」。
4月18日、神奈川から23時間、ようやく国東半島に辿り着き、友人に紹介された「ある人物」を訪ねた。
その人物とは豊後高田で古民家を改装したカフェ「百種(ももくさ)」を家族で営んでいるアントン眞理雄さん。
その晩はアントンさんのカフェでパーティがあるという。
先達の移住者が多く集まるのでいろんな話が聞けるかもしれないと見ず知らずの私たちを招待してくれたのだ。
暮れていく山の道を1時間近く迷って、ようやくたどり着いたアントンさんのカフェ。
少し心細くなっていた私はガラスの引き戸を開けた。
その瞬間にこわばっていた頬が緩んだ。
懐かしさが私たち家族を包み込んだ。
待っていてくれた大きな家族がいた。
すぐに分かった。
そこに和を見つけた。
その和には国東半島の象徴“六郷満山”と称される仏教文化を現代に受け継ぐ僧侶の方、移住者のYOGAマスター、自然農を実践するお百姓さん、天然酵母のパン屋さん、何でも作っちゃうマルチクリエイター、大工さん、そして個性豊かなヒーラー数名…そしてそれぞれの家族。
ここになぜかぽっかりと空いた席があって私たち家族は整然とそこに収まった。
約一ヶ月後、この和はONE EARTH国東源帰と名のるグループの核となった。
ONE EARTH国東源帰に定義はない。
リーダーらしきリーダーはいない。
入会資格もない、当然、試験も儀礼もない。
ただ「よりよい世界」を目指したい人々の集りであることは確かだ。
それぞれが料理を一品を持ち寄り、みんなで食事をする。そして話をする。
イベントを企画する。
新聞を発行する…等々。
集まりのあちこちで様々なアイデアが萌芽し、成長するものもあれば、枯れていくものもある。
しかしその地面の下は熱く燃えたマグマが流れている。
みんな何かが変ることを望んでいる。
何かを変えたい。
そしてそれは使命感に近いものかもしれない。
関東に住んだ約20年、こうした活動に興味はなく、むしろ敬遠していた。
性格的に人と会うのも特別に好きな方ではなかった。
しかし去年の3月11日にすべてが変った気がする。
幼い子どもがいるせいかもしれない。
あの出来事でなにかの「使命感」に駆られた人は私だけではないはず。
そうした人々の集まりのひとつがONE EARTH国東源帰なのだ。
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